先日ワイドナショーというテレビ番組を見ていて
フランスで暮らす高校生が出演していました。
日本で起きるいじめ、そして、「いじり」の話をしていて
誰かがいじるとエスカレートするという文化の話しを聞いて
フランスに暮らす高校生は、
「だれかがいじめのようなことをしても
他の人が、なにやってるんだろうって相手にしない」
「だから、いじめはない。」
と言い切っていた。
それを聞いて
日本は協調の国で
村意識が強いけど
自分が心地よくないことまでも
人と同じに
「一緒に」してしまってないかな?
「ノリが悪い」
なんて言葉を気にして
「やりたくもないこと」をしていないかな。
無意識に誰かの期待に応えなきゃって
思ってもいないことをしていないかな?
「笑いたくもないのに」
笑っていないかな。
笑顔でいなきゃってしていないかな?
私自身も、日本で育って
しっかり村意識の中で育って
協調性も育ち、しかもエンパスだから
他の人よりも人のためにってしていたかも
「みんな一緒」をして
「空気を読む」をしてきたけど
その時に、自分の「本当の気持ち」を無視してきた
「違和感」を感じても
「嫌悪感」を感じても
自分の
「心地よい」で
独自の判断をしてもいいなんて
思ったこともなかった。
今現在
一つ一つの行動を
自分がどうしたいかで決めているかな?
問われれば、すべてではないけれど
「自分でしたい」という気持ちに
素直に行動することが増えた。
相手に
私はそうは思わない。
と伝えることも増えた。
相手の人は、
「期待通りの言葉」でなくて
「なんで?」って顔をされることも増えたし
「そこはこうするべきでしょ」
って顔をされることも増えたけど
「そういわれても、私はそうしたいので。そう思うので。」
としか、いいようがない。
今思うのは、
私一人で、誰も共感しなくても
なんで一緒にしないの?と言われても
私は一人でも、「自分のしたい反応、行動を追求しようと思う」
自分らしく
ありのままで
ってそういうことだと思う。
ひとつひとつ、今までのあたりまえを
「本当にそれがいいの?」
って自分に問いかける。
案外自分の本音がわからなかったりするものだから。
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